白鳥利重

当クラブ発足以来 右島特別代表及び船橋スポンサークラブの御 指導と会員全員の強固な結束により回を重ねるにつれて益々上品にして楽しき会の雰囲気が醸し出されつつあり、それに相応しい、日本の中の習志野を表現する気品高いバナーと思い、日夜考えて参りました。

偶々在習の青龍社人 時田直善画伯の直筆に依り、完成の運びと相成りました。大空に千鳥三羽を配した筆致は流石に立派なもので会員の皆様と共に感謝致し度いとおもいます。図柄の内容については大略次の様なものです。

図柄の由来

  1. 習志野ロータリーバナー千鳥は古来より我が国の歌人、文人に愛せられた鳥で、健康で力強く団結力強く情愛の細かな鳥で、小柄ではあるが、千里の路を飛翔する最も日本人的な鳥である事、又、習志野の習の字は羽の下白と書き、三羽の中、下の一羽は白く書き上げた所以も世界に唯一つしかない習志野の千鳥を表現したものです。
  2. 三羽一体の図柄は習。志。野。津。田。沼。の三字にも似て複数のものが一つになった姿を意味し、然も静止中の群像ではなく、運動中の群像であり、恰も留る処を知らぬ千年の歴史を予言したものであり、しり上げの千鳥の意味もそこにあります。
  3. 色の配合はピカソの其れにも似て最も近代的に、青は大空宇宙空間の無限の広がりを意味し、千鳥の樺色は情愛と発展を意味し、嘴と足の桃色は清廉、純粋を意味し世界のロータリークラブに対して献身的に順応せんとする意思の披瀝でもあります。

バナー誕生当時の想い出

バナーの由来は別に記述の通りであります。当時バナー作成委員として私が少々絵をやっていると云う理由で指名され、バナーの構想について種々考えていた毎日がありました。旧陸軍の習志野兵場をモチーフにして松と原をスケッチしたり、工場団地の工場をモデルにしたり、袖ヶ浦(津田沼海岸)をスケッチしたりして最も習志野的のなものは何かと苦労したものです。

当時は新クラブ誕生と云う事で異様な興奮状態がクラブ全体に満ち満ちていた事は確かであり、チャーターを目前にしてそれは張り切って居たものです。

或る時津田沼海岸に出て一心に舟を近景にしてスケッチをしていました処、其処に二、三羽の鴎の飛んでいるのを見てはたと胸を打たれこれだ、舟と海より飛んでいる鳥がよい、鴎は一羽、一羽ばらばらに飛んでいるが鴨の様に集団で然も世界中にかけて飛翔するものが良いと思い、家へ帰って早速鴨の群像やおしどりの群像を二三枚画いて見たがどうしても思う様に絵けない。思い余って、そうだ、時田直善先生のお宅(現会員時田幸彦君の父)へ行って見ようと思い先生に相談した処、それならば千鳥がよいと云う事で其の場で早速製作に入って頂き見ている間に出来上がって行く千鳥の群像は実に見事なものでした。其の時の真剣な顔、我を忘れた先生の筆勢は今でもありありと思い出されます。

習志野の習は羽の下に白と書きますが、出来上がってみると正しく習志野の千鳥になっているではありませんか、あの嘴と足の桃色も清らかに大空に三羽一体となって飛ぶ姿は時田画伯ならでは出来ない見事な作品であります。

此処に改めて当時を思い、画伯に衷心より感謝の意を表し度いと思います。本当に有難う御座いました。

其れから三、四年後になって知ったのですが、つくづく千鳥でよかったと思った事がありました。其れはロータリー家族会が行徳町の宮内庁の鴨猟場で鴨料理を喰べながら、鳥寄せの名人より千鳥の事について色々説明がありましたが、千鳥程長距離移動する動物はいない。千鳥程健康で団結して集団を組む動物はいないと云うことでした。行動範囲は実は南半球のオーストラリアより北半球のシベリアに至る広大な距離に及び日本に四、五月頃に立寄て北方に向うそうであります。

又千鳥は非常に可愛らしい鳥であり私は大好きな鳥です。私自身鳥になるならば白鳥になるより千鳥になりたいと思います。

習志野クラブの千鳥のバナーは世界の中の習志野を意味し、R・Iと、習志野クラブと、地域社会を結ぶ三羽の千鳥であり。友愛、公平、拡大の三羽であり、知・仁・勇、愛敬信、の三羽であり、永遠に飛翔して止まる処を知らぬ三羽でもあります。

此処に当時の思い出を辿り、千鳥のバナーを再認識されてクラブの象徴として大切にして頂き度く思います。

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