ロータリーの誕生とその成長
20世紀初頭のシカゴの街は、著しい社会経済の発展の陰で、職業道徳の欠如が目につくようになっていました。
ちょうどそのころ、ここに事務所を構えていた青年弁護士ポール・ハリスはこの風潮に堪えかね、友人3人と語らって、お互いに信頼の出来る公正な取引をし、仕事上の付き合いがそのまま親友関係にまで発展するような仲間を増やしたい、という趣旨でロータリークラブという会合を考えました。ロータリーとは集会を各自の事務所持ち回りで順番に開くことから名付けられたものです。
こうして1905年2月23日にシカゴロータリークラブが誕生しました。
それからは、志を同じくするクラブが、つぎつぎ各地に生まれて、国境を超え、今では200以上の国と地域に広がり、クラブ数35,263、会員総数1,227,217人(2016年11月30日RI公式発表)に達しています。
そして、これら世界中のクラブの連合体を国際ロータリーと称します。
このように、歴史的に見ても、ロータリーとは職業倫理を重んずる実業人、専門職業人の集まりなのです。その組織が地球の隅々にまで拡大するにつれて、ロータリーは世界に眼を開いて、幅広い奉仕活動を求められるようになり、現在は多方面にわたって多大の貢献をしています。
日本のロータリーの歩み
我が国最初のロータリークラブは、1920(大正9)年10月20日に創立された東京ロータリークラブで、翌1921年4月1日に、世界で855番目のクラブとして、国際ロータリーに加盟が承認されました。
日本でのロータリークラブ創立については、ポール・ハリスの片腕としてロータリーの組織をつくり、海外拡大に情熱的に取り組んだ初代事務総長チェスリー・ペリーと、創立の準備に奔走した米山梅吉、福島喜三次などの先達の功を忘れることができません。
その後、日本のロータリーは、第2次世界対戦の波に洗われて、1940年に国際ロータリーから脱退します。戦後1943年3月になって、再び復帰加盟しますが、この時、復帰に尽力してくれたのが国際ロータリーの第3代事務総長ジョージ・ミーンズでした。
その後の日本におけるロータリーの拡大発展は目覚ましいものがあります。ロータリー財団への貢献も抜群で、今や国際ロータリーにおける日本地位は不動のものになりました。現在日本全体でのクラブ数は2,264、会員数89,538人(2017年2月末現在)となっています。
ロータリーソング
我等の生業 | 我等の生業 さまざまなれど 集いて図る 心は一つ 求むるところは 平和親睦 力むるところは 向上奉仕 おおロータリアン 我等の集い |
それでこそロータリー | どこで会っても やあと言おうよ 見つけた時にゃ おいと呼ぼうよ 遠い時には 手を振り合おうよ それでこそ ローロー ロータリー |
手に手つないで | 手に手つないで つくる友の輪 輪に輪つないで つくる友垣 手に手 輪に輪 ひろがれまわれ 一つ心に おお ロータリアン おおロータリアン |
奉仕の理想 | 奉仕の理想に集いし友よ 御国に捧げん我等の生業 望むは世界の久遠の平和 めぐる歯車いや輝きて 永久に栄えよ 我等のロータリー |
R-O-T-A-R-Y | R-O-T-A-R-Y That spells Rotary; R-O-T-A-R-Y Is known on land and sea; From North to South From East to West He profits most Who serves the best; R-O-T-A-R-Y That spells Rotary |